ウルトラトレイルランを始めたきっかけからUTMF出場を決めるまでにしたこと
はじめまして.ドナです.
日本有数のウルトラトレイルランのレース、UTMFの2019年のサイト準備が開始されました.
2018年に出場したのだが、これは良かった.
自分の限界をさらに引き上げることができたように思う.
そんなこんなで、僕がウルトラトレイルランを始めたきっかけ〜出場まで思いを馳せてみたので、ここに記しておく.
ウルトラトレイルランという競技を知っているだろうか?
そもそも、ウルトラトレイルランという競技を知っているだろうか?
文字通りいうと距離が長く(ウルトラ)、山の登山道(トレイル)を走る(ラン)競技.普通のマラソンとはかなり違う.
平たく言うとドMのレースだ.
日本で有名な大会で行ったら、UTMFが一番であると思う.
一般人も参加可能なオープンレースでありながら、世界のトッププロも出場する.
走行距離は、約170キロ.
累積標高差は、8000m以上.
ところで、世界に8000m以上の山は14峰ある.
制覇したクライマーは2018年現在で40人ほどしかいない.日本人でいうと竹内さんというプロクライマーただ一人だ.
彼らはThe eight-thousandersと呼ばれ、とにかくすごいのだ.
なんたって、THEがつくんだから.
(参考: Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Eight-thousander
話はUTMFに戻るが、
これら8000m峰に登るくらいの標高差を走るレースなのだ.そのため、優勝タイムは毎年20時間前後とやや常識で考えるとおかしいタイム設定となっている.
想像してほしい.優勝タイムで20時間なら、普通の人は丸1日以上寝ずに走るのだ.
とても嫌になる.
しかし、意外なことに出場したい人は多い.
募集枠2400人に対して、毎年その倍率は3倍くらいのときもあったと記憶している.
2400×3=7200人
(日本の人口1億2642万人(総務省-統計局より)からすると、わずか0.000057%からすると少ないが...)
ちなみに、出場枠の1/3は外国人枠である.
とまぁ、ウルトラトレイルランという競技はこんなレースなのである.
始めたきっかけ
始めたきっかけはなんのことはない.UTMFを観戦したからだ.
ある日アメリカに住む従兄弟が
「UTMFにでるから、奥さんの面倒をみていてくれないか?」
と言ってきた.
当時山登りに夢中でロードバイクで表彰される程度に体力に自信もあった僕は、二つ返事でその依頼を引き受けた.
従兄弟の奥さんと2人でまってるのもナンなので、レースに出ている従兄弟を追いかけ応援をしてきたのだ.
スタートは午後3時.晴天の昼下がり.
最初からこのレースの雰囲気は異常だった.
日本で開催されるレースの割に日本的な雰囲気があまりない、でもどこの国柄が出ているわけでもない.
スタートの合図があるのだが、ロードバイクのレースのようにあから様な誰かと争いをするような雰囲気はない.みんな和やかに楽しんでいる雰囲気すらある.
なんというかレース感がないのである.
今ならわかるが、トレイルランは戦う相手が“誰か”ではないのだ.
あくまで自分.
そして、レースは本当に過酷極まりない.
だからこそ、選手はレースを“戦う”のでなく、“楽しむ”のだ.
山の中をはしるので選手を観戦できる場所は少ない.
僕らはコースマップから普通の道路とコースが重なる場所を探して従兄弟を追いかけた.
多くの選手を見たがみんないい顔をしていた.
キツそうな中でも顔は真剣で楽しんでいる.
フロー状態とはこういうことなのかな?なんて思っていた.
そして、中には上位の選手でも歩いている選手もいた.
ぼくにとってはこれは衝撃的だった.
レースなのに、歩くんかい!!
ロードバイクは集団で走ることを軸にレースを展開する.
そんな考えに慣れきっていた僕には、歩く=手を抜く、良いうように思えて衝撃的だったのだ.
今考えれば当然だ.
走っているのは山で傾斜がある.夜も走るから足元もよく見えない.そしてなによりも、優勝する選手でも20時間はかかるのだ.
人の体は常に変化を求める歩くことも作戦の一つなのだ..
話がとんでしまった...
なにはともあれ、思ってしまった.
おれでもできそう( ̄∇ ̄)
心の声がした.
普段のぼくの登山スタイルを当てはめれば十分通用すると思ったのだ.
なぜなら、エイドステーションもあるしテントも背負わなくて良いのだから.
これで心が決まった.
まずしたこと
まずしたことは、“レースにエントリー”であった.
当時の僕はとりあえずやってみる精神の塊だった.
(これがその後痛い目をみることになるのだが...)
レースのエントリーは大体2ヶ月前位には締め切られている.
人気のレースはエントリー開始数分で満員というのもある.まったくそんな方々のモチベーションは一体なんなのだろうか.
僕がデビュー戦として選んだのは、野沢温泉スキー場で行われるトレランレースだった.
ぼくはスキーもやるのだが、スキーで回ったここのコースの面白さは格別であった.
それと、これが一番早く参加できるレースだった.
とにかく今の自分を試して見たかった.
エントリーしたレースの2週間前がロードバイクのレースである.
しかし、自転車の体を作っている時に走るための筋肉はいらない.
そのため、ぼくは一度だけ長い距離を走っておくことにした.
外秩父七峰縦走ハイキング大会:ハイキングイベント「電車でハイキング」
このコースのいいところは、駅がスタートで駅がゴール.そして毎年やってるイベントなので、各ポイントに看板が立っていてわかりやすいことだ.
しかし、コースは辛かった.
ゴールの寄居駅の近くまで来て、駅がわからず、
「寄居駅どこだよ(怒)」
と叫んでいたほどだ.
全く、はた迷惑な話だ.
そして望んだマウンテントレイルIN野沢温泉.
結果はスタートした人数400人中27位.
初陣にしてはまずまずの出来であった.
そんなこんなで、ウルトラトレイルランナーとしてのスタートを切ったのでした.
Ultra Trail-run Mt. Fujiに出場するために
さて、UTMFに出るためにはポイントというものを稼がなければならない.
2018年の募集要項にもこのようにある.
参加資格
- 大会当日に18歳以上の男女で、コースを迷うことなく制限時間内に完走できること。
- 大会エントリー開始日の3年前から前日までの間に、国際トレイルランニング協会(ITRA)がポイントを認定しているレースに出場・完走し、最大3レースで12ポイント以上を獲得すること。
ただし最低1レースはエントリー開始日の1年前から前日までに開催されるレ―スとする。※UTMF2018において男子100位以内、女子20位以内で完走された方には優先エントリー権を付与します。
当時は、ITRA (International Trail Tunning Association)のポイントではなく、UTMF独自に国内外の大会をまとめてポイントをつけていた.そして集めるポイントも3レースで6ポイント以上.
ちなみに先の野沢温泉のレースのポイントは3点だった.最高のポイントが4点であることを考えるとまあまあのレースだったようだ.
さてあと3点.とにかくポイントを稼がねばならない.
ということで、最初のレースから帰って早々、次のレースにエントリーをした.
選んだレースは美ヶ原を走るレース.
ここでは相部屋でペンションに泊まって見た.
みんな気さくで会話が楽しかった.みんなちゃんとゴールできたみたいだけど、何をしているのだろうか?
そしてこのレースは地元民にも受け入れられているようだった.
レースの途中、ふくらはぎをつった痛みでフラフラ走っている時、農家姿の地元のおばあちゃんに声をかけられた.
「きついかぇ〜?」
当然、こう答えるしかない.
「はい、きついっす^^;」
そうするとおばあちゃんは、「こっちおいで」と手招きする.
いってみると、背の高いトマトの畑の中にお茶とブドウを用意していた.
「やすんでき〜や〜」
というおばあちゃん.
しかし、ここはレースの場.規定外のところでサポートを受けるのはずるい気がした.
「ごめんな〜、レース中に休むのはちょっと(汗)」
おばあちゃんは優しかった.
「ほんなら、これもってき〜」
トトロにでてくるおばあちゃんのようにそう言って、巨峰をひとふさくれた.
嬉しかった.
そんなエピソードのある良い大会であった.
完走率65%. なかなか厳しいレースである.
そんな中でも上位1割に入る結果をだせたことは大きな自信になった.
これで、ぽいんとは6点.UTMFにエントリーできる.
というわけで、早速エントリー.
しかし現実は甘くはなかった.落選!!!_| ̄|○
その次の年も次の年も、受かるためにレースはでては落選し.
そして、2017年11月.当選のメールが届いた.
長い道のりであった.
その間、数々の レースに出た.
インディアンサマー | 東北復興の架け橋 FUKUSHIMA-NASUロングトレイル NASUロング ~羽鳥、二岐、甲子、那須、板室~
初の100キロ越えレース.
台風並みの低気圧の中のなかなか思い出に残るレースでした.
OMM / Original Mountain Marathon オリジナルマウンテンマラソン Japanオフィシャルサイト
パートナーと行動しなければならないレース.
パートナーが脚を痛め、2日目でリタイア.いろいろ勉強になったレースであった.
雨でのスタート. そして素晴らしく滑る下り.
はじめて本気でリタイアしようと思ったレースでした.
最後のデットヒートはたのしかったな^^
ハセツネ(長谷川恒男)カップ 日本山岳耐久レース オフィシャルサイト
日本で最も有名?なトレランレース.70キロの方に出ました.
13:00のスタートで、終電で帰ることができると優秀らしい.
僕は帰ることができませんでした...
伊豆半島のレース.
ここであの有名な鏑木さんとゴールで写真を撮ってもらいました.
ミーハーです.はい.
JYOSYU HOTAKASAN SKY VIEW TRAIL
上州武尊で行われるレース.120キロの方に出ました.
これは、途中で肋骨を折っていたようでゴール後、動けなくて本当にきつかった...
こうしてUTMF出場に至った
なかなか長い道のりであった.
けれど、結果はサブ30の100位以内.
まずまずのできだろう.
以上が、「ウルトラトレイルランを始めたきっかけからUTMF出場を決めるまでにしたこと」の経緯である.
数えてみると以外だったが、UTMF出場までに7レースしか出場していない.
だけどこれくらいで出場は叶うものなのだ.
ちょっとでもトレイルランをやってみようかなと思う人の参考になれば幸いに思う.