富士山一周して富士山の4つの登山口を全部めぐるルート
ロードバイク(自転車)の練習コースを紹介しようと思う.
富士山一周して富士山の登山口を4つ全部めぐるルートだ.
コンセプト
これはかなり走り込んでる人向けに設定した.
アイデアは、まだ僕がロードバイクを始めたばかりの頃に先輩から冗談で言われたコースだ.
当時はまだ200キロをファンライドで走れる程度の実力だったので、冗談でしか思わなかったが、5年ほどたってレースで上位を狙う練習コースが必要となり設定した.
おそらく誰もが思いつく定番コースかもしれないが、僕にとっては冗談を現実にしたコースなのだ.
実力によって登山口をパスしていくことで初心者向けに拡張性もある.仲間とも楽しめるコースである.
そして、エンジン付きのバイクにもオススメのコースだ。
概要
ルート:
富士山一周して富士山の登山口を4つ全部めぐるルート
獲得標高:8000m以上
距離:210キロメートル(4つの登山口全てパスすると110キロほどになる)
有料道路:スバルラインの料金は下記リンクから確認ください
↓
獲得標高について
ルートラボでは、おおよそ8433m登りとかかれているが、サンプリング数やトンネルの箇所もあるので多少のズレはあると思う.しかし、体感的に納得できる値だと考える.
距離について
こちらはルートラボでは203キロとなっている.
これは最後のスバルラインで5合目に到達前に時間切れとなったためである.時間切れになるとスバルラインの門がしめられるので管理者に引き返すように言われる.これがタイムリミットとなる.
ルートについて
富士山北部にある富士北嶺駐車場を起点登山口を起点に①〜⑥のセクションに分けて説明する.
①富士北嶺駐車場-国道139-県道71-県道72
③富士宮口五合目-旧料近所ゲート-水ヶ塚公園-太郎坊洞門-御殿場口新五合目-太郎坊洞門-県道23-小道-国道138-道の駅すばしり
④道の駅すばしり-ふじあざみライン-須走口5合目-道の駅すばしり
⑤道の駅すばしり-国道138-篭坂峠-富士パノラマライン-富士北嶺駐車場
⑥富士北嶺駐車場-富士スバルライン-スバルライン5合目-富士スバルライン-富士北嶺駐車場
①富士北嶺駐車場-国道139-県道71-県道72
セクション①は主に国道を走る.比較的交通量が多いので注意されたし.
コンビニに行く必要がある場合は国道139で済ますこと.こののちはほぼない.
県道71は下り基調で気持ちよく飛ばせる.ここでしっかりウォーミングアップに脚を回しておこう.
ちなみに時間もあいまって、ここからの富士山が一番綺麗に見える.
県道72はややアップダウンがある.しかし、次のセクションの登りがかなり長い.脚はあまり消費しないようにしよう.
②富士山スカイライン-旧料近所ゲート-富士宮口五合目
県道72と富士スカイラインの交差点がセクション②のスタートだ.
ここから長い登りとなる.
中間地点は給料近所後になるが、そこまではほぼ一定ののぼりとなる.
一定のリズムが大切だ.
そして旧料金所ゲートを超えると富士山とこのでセクションのボス、富士宮口五合目の建物が見える.
ぱっと見、とても心が挫ける距離だ.
だけど、それを乗り越える感覚を体験してほしい.
ちなみに、このセクションの開始から富士宮口五合目までのルートはヒルクライムの大会も開催されている.それほどの坂であるので頑張ろう!
キングオブヒルクライム富士山 | King Of HillClimb Mt.Fuji Official Site
ちなみにこの登りのスペックは以下のとおり.
標高差1,800m、距離26.5km、平均斜度6.9%(最大10.5%)
富士宮口五合目につくと、自動販売機もあるしパンとかお菓子を補給できる.
そして富士山もしっかり見える.
ぜひ旧料金所ゲート付近からの富士山と見比べてほしい。
きっと嬉しくなると思う。
③富士宮口五合目-旧料近所ゲート-水ヶ塚公園-太郎坊洞門-御殿場口新五合目-太郎坊洞門-県道23-小道-国道138-道の駅すばしり
富士宮五合目からの下りがセクション③のスタートだ.
下りは結構道が悪く感じると思う.まだ道のりは長い、無理せず慎重に下ろう.
旧料近所ゲートを左折してしばらく走ると水ヶ塚公園がある.
補給ができるのと休憩ができるので、ここで休憩しても良い.
旧料近所ゲート-富士宮口五合目-旧料近所ゲートをパスした仲間がいたら、ここで待ち合わせるのもオススメである.
道をまっすぐ進んで少し下り、岩よけのトンネル(太郎坊洞門)をくぐると左手に御殿場口新五合目に続く道が出てくる.曲がるとやや急な坂道になるが、距離はそれほどないので頑張ろう.
ここが一番苦労をしないピークだ.
新五合目を後にして、太郎坊洞門を左折すると長い下りだ.
ここも道があまりよくない.慎重にくだろう.
下り終わると左手に自衛隊駐屯地が出てくるので、その先の角を左折して進み、国道138に出る.富士五湖道路に乗らないようにして、道の駅すばしりへいく.
このあたりのエリアで昼食をとるとちょうど良いかもしれない🍛
④道の駅すばしり-ふじあざみライン-須走口5合目-道の駅すばしり
道の駅すばしりを起点にしたヒルクライムがセクション④となる.
登りに疲れた仲間がいたら、道の駅すばしりで休んでいてもらうのがいい.
さて、ふじあざみラインだ.
ツアーオブジャパンのコースであり、弱虫ペダルのインターハイコースともなっている厳しいコースだ.
第15回富士山国際ヒルクライム(一般) | JBCF 全日本実業団自転車競技連盟 公式サイト
このルートのスペックは以下のとおり.
標高差1200m、距離11.4km、平均斜度10%(最大22%)
なかでも馬返し周辺の坂道は、そこらの坂道では体感できない厳しさだ.
是非ともこれを体感いただきたいが、バスやくるま(パトカー含)も多く通るので注意されたし.
山頂に着いた時は、自分を褒めてあげよう!
ちなみに、山頂を多くの場合雲に覆われている.気温も道の駅すばしりにいた時にくらべて7〜8℃低いので、防寒具が必要だ.
道の駅すばしりに戻ってから、水の補給を忘れないようにしよう.
道の駅で、富士山の湧き水が手に入る.
⑤道の駅すばしり-国道138-篭坂峠-富士パノラマライン-富士北嶺駐車場
セクション⑤は国道138の登りから始まる.あざみラインの登りの後で絵脚にきているはずなので、車に注意するように.
一度、篭坂峠まで登れば、藤北嶺駐車場までは下り基調で進める.
ただし、富士パノラマラインは地元民の生活道であり、ここを通る時間は渋滞しやすい.安全第一で進んでほしい.
⑥富士北嶺駐車場-富士スバルライン-スバルライン5合目-富士スバルライン-富士北嶺駐車場
起点としていた富士北嶺駐車場についたら、装備を変えるのもいいかもしれない.下りを考えるととても寒くなる.しっかりした防寒具が必要だ.
セクション⑥はスバルラインのみだが、かなり長い距離を登る.
こちらも有名なヒルクライムレースが行われている.
ここのスペックは下記の通り.
標高差1270m、距離25km、平均斜度5.2%(最大7.8%)
ちなみにここは有料道路で自転車(ロードバイク)もお金を払う.
200円をすぐに渡せるようにポケットに入れておくとスムーズだ.
スバルラインの通行料:200円(2018年現在)
ながらかな坂がひたすら続くイメージ.
なので、じっくり登ろう.
ちなみに、僕が計測に行った時は時間切れとなってしまい、五合目まで3km地点でリタイア.引き返しを余儀なくされた.
もし、最後までいけたら自分を褒めてあげよう!
最後のスバルライン5合目からの下りは、時間も暗くなっていると思うの寒い.あざみライン以上の防寒具とライトを用意しておこう.
ちなみに僕は、ユニクロのダウンを車で準備して持って行った.何度も言うが、これでもやや寒いくらいだったので駐車場でしっかり防寒対策をしていこう.
さいごに
最後まで読んでくれてありがたいことであった.
もし、このコースを走ったなら感想いただけると、とてもありがたい.
以上.
ウルトラトレイルランを始めたきっかけからUTMF出場を決めるまでにしたこと
はじめまして.ドナです.
日本有数のウルトラトレイルランのレース、UTMFの2019年のサイト準備が開始されました.
2018年に出場したのだが、これは良かった.
自分の限界をさらに引き上げることができたように思う.
そんなこんなで、僕がウルトラトレイルランを始めたきっかけ〜出場まで思いを馳せてみたので、ここに記しておく.
ウルトラトレイルランという競技を知っているだろうか?
そもそも、ウルトラトレイルランという競技を知っているだろうか?
文字通りいうと距離が長く(ウルトラ)、山の登山道(トレイル)を走る(ラン)競技.普通のマラソンとはかなり違う.
平たく言うとドMのレースだ.
日本で有名な大会で行ったら、UTMFが一番であると思う.
一般人も参加可能なオープンレースでありながら、世界のトッププロも出場する.
走行距離は、約170キロ.
累積標高差は、8000m以上.
ところで、世界に8000m以上の山は14峰ある.
制覇したクライマーは2018年現在で40人ほどしかいない.日本人でいうと竹内さんというプロクライマーただ一人だ.
彼らはThe eight-thousandersと呼ばれ、とにかくすごいのだ.
なんたって、THEがつくんだから.
(参考: Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Eight-thousander
話はUTMFに戻るが、
これら8000m峰に登るくらいの標高差を走るレースなのだ.そのため、優勝タイムは毎年20時間前後とやや常識で考えるとおかしいタイム設定となっている.
想像してほしい.優勝タイムで20時間なら、普通の人は丸1日以上寝ずに走るのだ.
とても嫌になる.
しかし、意外なことに出場したい人は多い.
募集枠2400人に対して、毎年その倍率は3倍くらいのときもあったと記憶している.
2400×3=7200人
(日本の人口1億2642万人(総務省-統計局より)からすると、わずか0.000057%からすると少ないが...)
ちなみに、出場枠の1/3は外国人枠である.
とまぁ、ウルトラトレイルランという競技はこんなレースなのである.
始めたきっかけ
始めたきっかけはなんのことはない.UTMFを観戦したからだ.
ある日アメリカに住む従兄弟が
「UTMFにでるから、奥さんの面倒をみていてくれないか?」
と言ってきた.
当時山登りに夢中でロードバイクで表彰される程度に体力に自信もあった僕は、二つ返事でその依頼を引き受けた.
従兄弟の奥さんと2人でまってるのもナンなので、レースに出ている従兄弟を追いかけ応援をしてきたのだ.
スタートは午後3時.晴天の昼下がり.
最初からこのレースの雰囲気は異常だった.
日本で開催されるレースの割に日本的な雰囲気があまりない、でもどこの国柄が出ているわけでもない.
スタートの合図があるのだが、ロードバイクのレースのようにあから様な誰かと争いをするような雰囲気はない.みんな和やかに楽しんでいる雰囲気すらある.
なんというかレース感がないのである.
今ならわかるが、トレイルランは戦う相手が“誰か”ではないのだ.
あくまで自分.
そして、レースは本当に過酷極まりない.
だからこそ、選手はレースを“戦う”のでなく、“楽しむ”のだ.
山の中をはしるので選手を観戦できる場所は少ない.
僕らはコースマップから普通の道路とコースが重なる場所を探して従兄弟を追いかけた.
多くの選手を見たがみんないい顔をしていた.
キツそうな中でも顔は真剣で楽しんでいる.
フロー状態とはこういうことなのかな?なんて思っていた.
そして、中には上位の選手でも歩いている選手もいた.
ぼくにとってはこれは衝撃的だった.
レースなのに、歩くんかい!!
ロードバイクは集団で走ることを軸にレースを展開する.
そんな考えに慣れきっていた僕には、歩く=手を抜く、良いうように思えて衝撃的だったのだ.
今考えれば当然だ.
走っているのは山で傾斜がある.夜も走るから足元もよく見えない.そしてなによりも、優勝する選手でも20時間はかかるのだ.
人の体は常に変化を求める歩くことも作戦の一つなのだ..
話がとんでしまった...
なにはともあれ、思ってしまった.
おれでもできそう( ̄∇ ̄)
心の声がした.
普段のぼくの登山スタイルを当てはめれば十分通用すると思ったのだ.
なぜなら、エイドステーションもあるしテントも背負わなくて良いのだから.
これで心が決まった.
まずしたこと
まずしたことは、“レースにエントリー”であった.
当時の僕はとりあえずやってみる精神の塊だった.
(これがその後痛い目をみることになるのだが...)
レースのエントリーは大体2ヶ月前位には締め切られている.
人気のレースはエントリー開始数分で満員というのもある.まったくそんな方々のモチベーションは一体なんなのだろうか.
僕がデビュー戦として選んだのは、野沢温泉スキー場で行われるトレランレースだった.
ぼくはスキーもやるのだが、スキーで回ったここのコースの面白さは格別であった.
それと、これが一番早く参加できるレースだった.
とにかく今の自分を試して見たかった.
エントリーしたレースの2週間前がロードバイクのレースである.
しかし、自転車の体を作っている時に走るための筋肉はいらない.
そのため、ぼくは一度だけ長い距離を走っておくことにした.
外秩父七峰縦走ハイキング大会:ハイキングイベント「電車でハイキング」
このコースのいいところは、駅がスタートで駅がゴール.そして毎年やってるイベントなので、各ポイントに看板が立っていてわかりやすいことだ.
しかし、コースは辛かった.
ゴールの寄居駅の近くまで来て、駅がわからず、
「寄居駅どこだよ(怒)」
と叫んでいたほどだ.
全く、はた迷惑な話だ.
そして望んだマウンテントレイルIN野沢温泉.
結果はスタートした人数400人中27位.
初陣にしてはまずまずの出来であった.
そんなこんなで、ウルトラトレイルランナーとしてのスタートを切ったのでした.
Ultra Trail-run Mt. Fujiに出場するために
さて、UTMFに出るためにはポイントというものを稼がなければならない.
2018年の募集要項にもこのようにある.
参加資格
- 大会当日に18歳以上の男女で、コースを迷うことなく制限時間内に完走できること。
- 大会エントリー開始日の3年前から前日までの間に、国際トレイルランニング協会(ITRA)がポイントを認定しているレースに出場・完走し、最大3レースで12ポイント以上を獲得すること。
ただし最低1レースはエントリー開始日の1年前から前日までに開催されるレ―スとする。※UTMF2018において男子100位以内、女子20位以内で完走された方には優先エントリー権を付与します。
当時は、ITRA (International Trail Tunning Association)のポイントではなく、UTMF独自に国内外の大会をまとめてポイントをつけていた.そして集めるポイントも3レースで6ポイント以上.
ちなみに先の野沢温泉のレースのポイントは3点だった.最高のポイントが4点であることを考えるとまあまあのレースだったようだ.
さてあと3点.とにかくポイントを稼がねばならない.
ということで、最初のレースから帰って早々、次のレースにエントリーをした.
選んだレースは美ヶ原を走るレース.
ここでは相部屋でペンションに泊まって見た.
みんな気さくで会話が楽しかった.みんなちゃんとゴールできたみたいだけど、何をしているのだろうか?
そしてこのレースは地元民にも受け入れられているようだった.
レースの途中、ふくらはぎをつった痛みでフラフラ走っている時、農家姿の地元のおばあちゃんに声をかけられた.
「きついかぇ〜?」
当然、こう答えるしかない.
「はい、きついっす^^;」
そうするとおばあちゃんは、「こっちおいで」と手招きする.
いってみると、背の高いトマトの畑の中にお茶とブドウを用意していた.
「やすんでき〜や〜」
というおばあちゃん.
しかし、ここはレースの場.規定外のところでサポートを受けるのはずるい気がした.
「ごめんな〜、レース中に休むのはちょっと(汗)」
おばあちゃんは優しかった.
「ほんなら、これもってき〜」
トトロにでてくるおばあちゃんのようにそう言って、巨峰をひとふさくれた.
嬉しかった.
そんなエピソードのある良い大会であった.
完走率65%. なかなか厳しいレースである.
そんな中でも上位1割に入る結果をだせたことは大きな自信になった.
これで、ぽいんとは6点.UTMFにエントリーできる.
というわけで、早速エントリー.
しかし現実は甘くはなかった.落選!!!_| ̄|○
その次の年も次の年も、受かるためにレースはでては落選し.
そして、2017年11月.当選のメールが届いた.
長い道のりであった.
その間、数々の レースに出た.
インディアンサマー | 東北復興の架け橋 FUKUSHIMA-NASUロングトレイル NASUロング ~羽鳥、二岐、甲子、那須、板室~
初の100キロ越えレース.
台風並みの低気圧の中のなかなか思い出に残るレースでした.
OMM / Original Mountain Marathon オリジナルマウンテンマラソン Japanオフィシャルサイト
パートナーと行動しなければならないレース.
パートナーが脚を痛め、2日目でリタイア.いろいろ勉強になったレースであった.
雨でのスタート. そして素晴らしく滑る下り.
はじめて本気でリタイアしようと思ったレースでした.
最後のデットヒートはたのしかったな^^
ハセツネ(長谷川恒男)カップ 日本山岳耐久レース オフィシャルサイト
日本で最も有名?なトレランレース.70キロの方に出ました.
13:00のスタートで、終電で帰ることができると優秀らしい.
僕は帰ることができませんでした...
伊豆半島のレース.
ここであの有名な鏑木さんとゴールで写真を撮ってもらいました.
ミーハーです.はい.
JYOSYU HOTAKASAN SKY VIEW TRAIL
上州武尊で行われるレース.120キロの方に出ました.
これは、途中で肋骨を折っていたようでゴール後、動けなくて本当にきつかった...
こうしてUTMF出場に至った
なかなか長い道のりであった.
けれど、結果はサブ30の100位以内.
まずまずのできだろう.
以上が、「ウルトラトレイルランを始めたきっかけからUTMF出場を決めるまでにしたこと」の経緯である.
数えてみると以外だったが、UTMF出場までに7レースしか出場していない.
だけどこれくらいで出場は叶うものなのだ.
ちょっとでもトレイルランをやってみようかなと思う人の参考になれば幸いに思う.
はじめに
自分を表すもの
自分を表すものといったらなんだろう、と考えてみた。
ロードバイクと山登り
この2つだと思う。
この二つでブログを始めてみたいと思う。
ので、この二つの始まりを書いてみたいと思う。
この二つはプロのアスリートには全然届かないけれど、おこがましくも人類の中でと考えた場合、上位1%の結果は出せている分野だと思う。
どちらも就職してから始めたが、今の自分はこの二つで成長をしてきたし広い人間関係を気付けている。
ロードバイク
会社に入って同期の間で流行ったが、実際に始めたのは入社して所属された部署の一回り年の離れた先輩にそそのかされただからだった。
「お前ならやれるよ」
当時の先輩は冗談で言っていただろう。だって初対面だったし。先輩も自転車をはじめたばかりだったから仲間が欲しかったのかもしれない。
「お前ならやれるよ」
当時何もなかった自分も何言ってるんだ、と思いながらも、その一言で自転車を購入し、200キロの佐渡島のライドイベントに参加し、宮古島のロードレース、美ヶ原のヒルクライムレースへと歩を進めていった。
結果として、おれは冗談を現実に変えた。
優勝とは行かないまでも、大会で結果を残し、仲間でチームを作り楽しくやっている。
そしてロードバイクは僕を大きく成長させるツールとなった。
山登り
そもそも始めた理由は暇つぶしだった。
ロードバイクにハマった自分だったが冬は寒かった。
寒いのが嫌な自分は歩くならそんなに寒くないかな、と思ったのだ。
いやいや今ならわかる。これがアホなかんがえということが。
だけど、これが僕の山を始めようと思った理由だからしょうがない。
大学時代の山岳部だった友達を捕まえて、僕は山に登ることにした。
最初の山は雲取山だった。
八ヶ岳にある天狗岳も検討したが、12月はすでに雪深いことを知り、ビビってやめた。
いい選択だったと思う。
装備もふつうの面のジーンズ風のパンツに、ヒートテックとセーター。バイクで使っているバックに雨具のみ。
こんな僕でも靴は登山靴でないとと思い、モンベルで靴を購入した。
初登山の1週間前。12月に入ったばかりの週末だった。
今ならわかる。この時期にこの装備で初心者で登るのことがどれだけ無謀だったか。
でも、はじめの一歩を踏み出さねば何も始まらない。山に登ると思った時に始めなければ何も始まらない、と思っていた。
最初の登山は寝坊をし、当然帰りは暗くなってしまった。持っていた自転車のランプで足元を照らしながら友人と下山したのはいい思い出だ。
けれど、とても楽しく大きな達成感を得ることができた。
そんな僕もあれから登った山の数は3桁を超え、トレランのレースもこなしようになった。
ありがたいことに周りの人に一緒に行って欲しいと言われることも増え、山登りはぼくの人生に彩りを与えてくれている。
それぞれこんな始まりである。
それぞれについて、自分が得た学びを残して行きたいと思う。
という決意表明をしてこのエントリーを閉じることとする。
以上.